わたしの神よ、わたしの神よ
  なぜわたしをお見捨てになるのか。
  なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず……
              (詩22編2節)

 これは、十字架上で主イエスが叫ばれた聖句です。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」(マタイ27章46節)。神から見捨てられた者の、悲痛な叫びに聞こえます。その実、主は見捨てられたのです。弟子たちから裏切られ見捨てられただけでなく、父神からも完全に見捨てられました。そんな状況の中で、主はどんな思いで詩22編の冒頭聖句を口にされたのでしょうか。十字架の耐え難い苦しみの中で、何を思いながら、この聖句を口にされたのでしょうか。ある方は、「この詩編は、23節から讃美の歌に変わっています。そのことを念頭に置いて、冒頭の聖句を口にされた」と言います。本当はどうだったのか、主のみ知るわけですが、22編は悲劇的で悲痛な叫びで始まっても、後半は神賛美に推移しています。主イエスは詩編にも精通しておられましたから、この詩全体を知った上で、冒頭の叫びを口にされたことは確かです。いずれにしても、見捨てられた者の叫びです。

 十字架の出来事が1000年も前に、ダビデの口を通して語られています。ダビデにも見捨てられ、絶望しかない立場に置かれた時期がありました。そのような時にも「わたしの神よ」と、呼びかけています。捨てられても、私の神であることに変わりはないからです。だから、大声で叫ばれたのです。ダビデは、「わたしの先祖はあなたに依り頼み 依り頼んで、救われて来た。助けを求めてあなたに叫び、救い出され あなたに依り頼んで、裏切られたことはない」(5,6節)と、祈っています。「裏切ることのない誠実で真実な父神が子である私を見捨てたのは、誰かを救うために他ならない。罪ある全ての人の身代わりとなって、私は見捨てられた。私を裏切り、見捨てた者たちが、その罪の故に救いから捨てられないためだ。私が見捨てられたのは、私を信じる者が決して見捨てられないため」

 以上のことから、主イエスが大声で叫ばれたのは、信じる者は1人も滅びない(見捨てられない)との宣言です。どんな状況に置かれても、絶望してはならないのは、もっと悲惨などん底に落とされた主が、あなたを支えておられるからです。詩編をそう読みました。